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山形地方裁判所酒田支部 昭和63年(ヨ)1号 決定 1988年6月27日

申請人(別紙(略)(一)選定者目録記載の五八名の選定当事者)

太田健一

右訴訟代理人弁護士

佐藤欣哉

右同

縄田政幸

被申請人

医療法人清風会

右代表者理事長

池田康子

右訴訟代理人弁護士

高井伸夫

右同

末啓一郎

右同

小代順治

右同

高下謹壱

主文

一  被申請人は申請人に対し金二八九万七六九一円を仮に支払え。

二  申請人のその余の申請を却下する。

三  申請費用はこれを五分し、その四を申請人の負担とし、その余を被申請人の負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  申請の趣旨

1  被申請人は申請人に対し金三三四五万三五三六円を仮に支払え。

2  申請費用は被申請人の負担とする。

二  申請の趣旨に対する答弁

1  申請人の本件仮処分申請を却下する。

2  申請費用は申請人の負担とする。

第二当事者の主張

一  申請の理由

1  被保全権利

(一) 当事者

被申請人は、肩書地に主たる事務所を置き、同所において精神病院「光ケ丘病院」を開設している医療法人であって、労働者約一四〇名余を雇用しているものであり、他方、別紙(一)選定者目録記載の五八名の選定者らは、いずれも被申請人に雇用され、右光ケ丘病院に勤務している労働者であって、被申請人の従業員約六〇名余で組織されている「清風会光ケ丘病院労働組合」(以下単に「労働組合」という。)の組合員である。

(二) 被申請人の就業規則における賃金等に関する定め

被申請人の就業規則(昭和六二年九月一日改正前の「就業規定」及び同改正後の「就業規則」((その第四七条「従業員の賃金及び手当は別に定める賃金規定による。」を承けて定められた賃金規定))においていずれも同じ)によれば、賃金(基本給と諸手当から成る。)は毎月一日から末日までの分を当月二五日に支払い、昇給は原則として毎年一回、四月に行い、賞与は毎年二回、一二月と六月に支給するものとされている。

(三) 基本給引上げによる差額分の請求

(1) 被申請人においては、前記就業規則に基づき毎年四月に基本給の引上げ(但し、いわゆるベースアップと定期昇給とを区別せず、これを一括しての引上げ)を行っていたところ、昭和六一年度には従業員一人平均九四〇〇円の基本給引上げを行い、その結果、選定者らについては、同年四月分以降別紙(二)賃金等一覧表(以下、単に「別表」という。)の欄記載の各金員を支払っていた。

(2) 労働組合は、昭和六二年三月一七日、被申請人に対し、同年四月分以降一人平均七万二二一四円及び一律三万円の基本給引上げを要求したが、被申請人はこれを拒否した。

(3) 被申請人と労働組合との間では前記基本給引上げについて交渉が妥結せず、協定が成立していないが、就業規則の定め及び従前の基本給引上げの実態等の前記の諸点のほか、次の諸事情に徴すれば、選定者らは被申請人に対し同年四月分以降少なくとも三パーセント引上げされた基本給(別表の欄記載の各金員)の支払請求権を有するものというべきである。

<1> 被申請人は、団体交渉において、前記労働組合の要求に対し、従業員の基本給を一律三パーセント(従業員一人当たりの平均三九三〇円)引き上げる旨回答した。

<2> 被申請人は、選定者らに対しては基本給引上げに関する交渉が妥結せず、協定が成立していないことを理由に前記欄記載の基本給しか支払わないが、労働組合に所属していない従業員に対しては同年四月分以降三パーセント引上げした金額の基本給を支払っており、また、同年一二月には労働組合を脱退した従業員三名に対しても同年四月に遡って基本給引上げを実施してその差額分をまとめて支払った。

<3> 労使の交渉が妥結しないのは労働組合が被申請人の前記回答を低すぎるとして拒否しているからであり、被申請人の回答が今後三パーセントを下回ることは考えられないのであるから、事柄を実質的に考察すれば、被申請人からの引上げを三パーセントとしたいとの申込に対し、労働組合がこれを承諾した上で更にその上積みを申し込んだものの、被申請人において右上積みの申込に対して承諾していないというのと同視できるのであって、したがって、右の三パーセントの引上げ部分については労使間でその支払請求権が確定しているというべきである。

<4> なお、右三パーセントを超える部分について未だ確定していないのは、被申請人が団体交渉において三パーセントしか引上げできないことについて経営不振を理由とするだけで何ら首肯するに足りる説明をせず、労働組合の要求を拒否するのみであったためであり、このような使用者の態度は団体交渉に誠実に応じないものとして不当労働行為になる(労働組合法七条二号)というべきであり、また、労働組合は、被申請人に対し、被申請人の提案にかかる三パーセント引上げ分については内払として受領する旨の意思を表明しているのにその支払を拒否するのは、選定者らに対し組合員であることの故をもって不利益な取扱をすることあるいは労働組合に対し支配介入するものとして不当労働行為になる(同条一号、四号)と解すべきところ、このような不当労働行為がなければ団体交渉において被申請人の回答した三パーセントを超える率で妥結していたはずであり、少なくとも被申請人の回答にかかる三パーセントの引上げ分については既に労使間で確定しているというべきである。

(4) 選定者らそれぞれの基本給が三パーセント引き上げられた場合の差額(別表の欄記載の金額から欄記載の金額を控除したもの)について、既に履行期が到来している同年四月分から翌六三年四月分までを合計した金額は別表の欄記載のとおりである。但し、選定者清野源吾及び同澁谷郁はいずれも被申請人から解雇されたもののその解雇の効力を係争中であり、前者については昭和六二年一〇月分まで、後者については昭和六三年三月分までの仮払をそれぞれ請求するので、その分のみを記載している。

(四) 夏季及び冬季の各賞与の請求

(1) 被申請人は、前記就業規則に基づき昭和六一年度まで例年基本給を基準としてその一五割を夏季賞与として支払ってきた。

(2) 労働組合は、昭和六二年六月一日、被申請人に対し、基本給の二五割に一律五万円を加算して夏季賞与を支払うことを要求したが、被申請人は、夏季賞与算定の基準となる基本給引上げについて交渉が妥結していないため支給額は回答できない旨返答した。

(3) 被申請人は、前記就業規則に基づき例年基本給を基準としてその二五割を(但し、昭和六〇年度については基本給の約三〇割((組合員の平均額は三六万円))を)冬季賞与として支払ってきた。

(4) 労働組合は、昭和六二年一一月六日、被申請人に対し、基本給の三五割に一律五万円を加算して冬季賞与を支払うことを要求したが、被申請人は、前同様の理由により支給額は回答できない旨返答した。

(5) 被申請人と労働組合との間では昭和六二年度の夏季及び冬季の各賞与について交渉が妥結せず、協定が成立していないが、就業規則の定め及び従前の支給実績等前記の諸点のほか、次の諸事情に徴すれば、選定者らは被申請人に対し、夏季賞与として各基本給額(前記欄記載の三パーセント引上げ後の金額)の一五割に相当する金員、冬季賞与として各基本給額(前同)の二五割に相当する金員の支払請求権を有するものというべきである。

<1> 選定者らが被申請人に対し、昭和六二年四月分からその前年度より三パーセント引上げ後の基本給(欄記載の金額)の支払請求権を有することは前記のとおりである。

<2> 被申請人は、選定者らに対しては前記の理由により夏季及び冬季の各賞与についていずれもその支払を拒否しているが、労働組合に所属していない従業員に対しては、同年八月一二日基本給(同年四月に引き上げられた後の金額)の一五割を夏季賞与として、同年一二月一九日基本給(前同)の二五割を冬季賞与としてそれぞれ支払い、更に、同月中に労働組合を脱退した従業員三名に対しても右と同率で夏季及び冬季の各賞与を支払った。

<3> 賞与に関する交渉が妥結しないのは、労働組合が基本給引上げに関する被申請人の回答を低すぎるとして拒否しているからであるが、被申請人のこの点に関する回答が今後三パーセントを下回ることは考えられず、また、被申請人はこの点で妥結すれば非組合員と同率で賞与を支給する旨表明しており、労働組合も本件仮処分申請前から右の賞与の支給割合については受諾する旨の意思を表明しているのであって、今後の交渉において妥結する際右の支給割合を下回ることは考えられないのであるから、各賞与については基本給(前同様従前の基本給から三パーセント引上げ後の金額)の一五割及び二五割で支払うべき旨の請求権が具体化しているものというべきである。

(6) 選定者らそれぞれについて、三パーセント引上げ後の基本給に基づき、夏季賞与はその一五割、冬季賞与はその二五割として計算すると、別表の欄及び欄各記載のとおりとなる。但し、選定者清野源吾については、前同様の理由により昭和六二年度の夏季賞与の仮払のみを請求するので、その分だけを記載している。

2  保全の必要性

選定者らは、いずれも賃金により生活を維持している労働者であるところ、物価が上昇している現今基本給が毎年引き上げられることを前提として生活設計をしており、また、各賞与についても、平常月の賃金収入で不足した生活費を補ったり、ローンの返済に当てるなどの使途を予定していたものであり、これらが得られないことによりその生活は逼迫しているのであって、現に選定者らは夏季の賞与につき借入金をもって生計を維持している状態にある。したがって、本案判決の確定を待っていたのでは回復し難い損害を被るおそれがある。

二  申請の理由に対する認否及び反論

1  被保全権利について

(一) 申請の理由1項(一)の事実は認める。

(二) 同(二)の事実は認める。

(三) 同(三)については、(1)及び(2)の各事実はいずれも認め、(3)の事実のうち、冒頭の被申請人と労働組合との間で基本給引上げにつき交渉が妥結せず、協定が成立していないこと、<1>及び<2>の各事実はいずれも認め、<3>及び<4>の各事実はいずれも否認し、三パーセントの引上げ部分につき労使間でその支払請求権が確定しているとの主張を争う。計算上(4)の金額となることは争わない。

なお、昇給に関し、就業規則、労働契約等において具体的な定めがない場合には、労使間の具体的、個別的な合意がない以上、労働者に引上げ分についての支払請求権はないと解すべきところ、本件においては右就業規則等に具体的な定めがないことは明らかである上、基本給引上げについての労使間の交渉が妥結していないことは申請人の自認するところであるから、被申請人は労働組合に所属している選定者らに対し従前の基本給額の支払義務しか負わないのであり、一方で争議権を行使される危険にさらされながら、他方で未だ合意に達していない引上げ分の支払義務を負ういわれはないというべきである。このことは、申請人主張の諸事情を考慮しても同じである。

(四) 同(四)については、(1)の事実のうち、夏季賞与として昭和六一年度に基本給の一五割を支払ったことは認めるが、その余の事実は否認し、(2)の事実は認め、(3)の事実のうち、冬季賞与として昭和六〇年度に基本給の約三〇割を、翌六一年度に二五割を支払ったことは認めるが、その余の事実は否認し、(4)の事実は認め、(5)に関しては、冒頭の被申請人と労働組合との間で夏季及び冬季の各賞与について交渉が妥結せず、協定が成立していないこと、<2>の事実、<3>の事実のうち協定が成立しないのは労働組合が被申請人の回答を低すぎるとして拒否しているからであること、被申請人が基本給引上げについて妥結すれば非組合員と同率で賞与を支給する旨の意思を表明していることはいずれも認め、その余の事実はいずれも否認し、夏季及び冬季の各賞与につき具体的な請求権が成立しているとの主張は争う。計算上(6)の金額となることは争わない。但し、実際の支給額は、各従業員ごとに出勤率を乗じた結果確定されることになるので、申請人主張のように基本給の一五割あるいは二五割そのままの金額とはならない。

なお、賞与に関しても、就業規則、労働契約等において金額及び支給率等について具体的な定めがない場合には、労使間の具体的、個別的な合意がない以上、労働者にその支払請求権はないと解すべきところ、本件においては右就業規則等に具体的な定めがないことは明らかである上、個別的な労使間の交渉が妥結していないことは申請人の自認するところであるから、被申請人は労働組合に所属している選定者らに対し、一方で争議権を行使される危険にさらされながら、他方で未だ合意に達していない賞与の支払義務を負ういわれはないというべきである。このことは、申請人主張の諸事情を考慮しても同じである。

2  保全の必要性について

申請の理由2項記載の事実はいずれも知らない。

なお、本件は過去の賃金の仮払を求めているものであるところ、選定者らは他の手段により現在までその生活を維持してきているのであるから、基本給の引上げ分及び各賞与の支給を受けなければ、生活が直ちに困窮し、経済的に危殆に瀕するとは到底いい難く、保全の必要性があるとはいえない。

理由

一  被保全権利について

1  申請の理由1項(一)及び(二)の各事実は当事者間に争いがない。

2  進んで基本給引上げによる差額分の請求について判断する。

(一)  申請の理由1項(三)のうち、被申請人においては前記就業規則に基づき毎年四月に基本給の引上げ(但し、いわゆるベースアップと定期昇給とを区別せず、これを一括しての引上げ)を行っていたところ、昭和六一年度には従業員一人平均九四〇〇円の基本給引上げを行い、その結果選定者らについては同年四月分以降別表の欄記載の各金員を支払っていたこと、労働組合は、昭和六二年三月一七日被申請人に対し同年四月分以降一人平均七万二二一四円及び一律三万円の基本給引上げを要求したが、被申請人は、団体交渉においてこれを拒否し、従業員の基本給を一律三パーセント(従業員一人当たりの平均三九三〇円)引き上げる旨回答したため、被申請人と労働組合との間では右基本給引上げについて交渉が妥結せず、協定が成立していないこと、被申請人は、選定者らに対しては基本給引上げに関する交渉が妥結せず、協定が成立していないことを理由に従前の基本給額(欄記載の金額)しか支払わないが、労働組合に所属していない従業員に対しては同年四月分以降三パーセント引上げした基本給を支払っており、また、同年一二月には労働組合を脱退した従業員三名に対しても同年四月に遡って基本給引上げを実施してその差額分をまとめて支払ったこと、以上の各事実は当事者間に争いがない。

(二)  そして、疎明資料及び審尋の全趣旨によれば、更に、被申請人の一律三パーセント基本給を引き上げる旨の回答には当初から他に何らの条件も付されておらず、被申請人自身も「一発回答」との表現で爾後これを変更する意思のないことを明らかにしていた上、その後何回か開催された団体交渉においても回答の上積みを求める労働組合に対し経営不振を理由として一貫して三パーセントの引上げ率を譲らず(交渉の成り行きによってはこの引上げ率を変更してもよいというような態度はいささかなりとも窺うことができない。)かつ、労働組合が右の三パーセントの引上げ分については内金払をするよう再三求めたのにこれを拒否して推移してきていること、しかし、この間、右の引上げ率を下回る回答をしたこともなく(この態度は本件仮処分の審尋においても維持されている。)、後記のとおり夏季及び冬季の各賞与に関する労使交渉においては、右の基本給引上げに関する交渉が妥結していないことを理由に支給額は回答できないとしながらも、労働組合が三パーセントの引上げに応ずれば各賞与も非組合員と同じ支給率で支払う旨表明していること、被申請人の就業規則における昇給に関する規定には「昇給の額については従業員の勤務成績、勤続年数及び病院の経済事情等を勘案してその都度決定する。」と定めてあるだけで、昇給率等について具体的に定めた規定はなく、また、この点について具体的に合意した労働協約もなく、個々の労働契約においてもこの点は定められていないこと、なお、労働組合が結成されたのは昭和六〇年九月であるが、それ以前においては相当前から雇用形態(正規の従業員と臨時の従業員の区別など)ごとに被申請人が定めた一律の割合で基本給を引き上げており、右組合結成後は労使交渉を持つようになったため昭和六一年度は団体交渉で合意した引上げ率で基本給を引き上げたこと、以上の事実を一応認めることができる。

(三)  そこで、検討するのに、確かに就業規則や労働協約あるいは個々の労働契約において昇給について定めがあっても、それを実施するために不可欠な昇給率ないし金額について具体的な定めがなされておらず、あるいは、労使間でこの点について交渉が妥結せず、合意が成立していない場合には、他にこの合意等に代わって引上げ分の支払請求権を具体化させるべき特段の事情がないかぎり、労働者にその合意に達していない引上げ分についてまでの支払請求権はないものというべきであるが、本件においては、基本給の引上げ率に関する使用者の回答は、交渉が開始されてから本件仮処分審尋時に至るまで一年以上にわたり終始一貫しており、単に交渉の過程において駆け引きとして示したにとどまらず、修正する意思のない確定的回答として提示したものと考えられる上、この回答を低すぎるとして妥結を拒否している労働組合との意思の齟齬は数量的に可分な引上げ率についてだけであり(前記のとおり被申請人の回答には他に何らの条件も付されていない。)、しかも、労働組合は少なくとも基本給を引き上げることにつき争いの存しない三パーセントの部分については内金払を求めていたものであり、更にこれに加え、被申請人の右引上げ率に関する回答は労働組合員と非組合員とで区別することなく、一律に基本給を引き上げることとして提示されているものであるところ、非組合員及び労働組合を脱退した者に対しては既に右の引上げ率による昇給が実施されてこれが支払われていることなどの諸点をも併せ考慮すれば、未だ労使交渉が妥結していないものの少なくとも被申請人の回答にかかる三パーセントについては実質的には合意が成立しているのと同視してよく、したがって、労働組合に所属している選定者らに関しても他の従業員と同様昭和六二年四月分から右の率で引き上げられた金額での支払請求権が具体化しているものと見ることができる。

(四)  選定者らそれぞれにつき同年三月当時の基本給(月額)が別表の欄記載のとおりであり、それが三パーセント引き上げられた場合の金額が同欄記載のとおりであることは、いずれも当事者間に争いがない。

(五)  そうすると、選定者らは、被申請人に対し、同年四月分以降の基本給について少なくともその三パーセントが引き上げられたものとして、昭和六三年四月分までの一三か月分の引上げ額の合計(別表欄記載の金額)の支払請求権(但し、右引上げ率を超える部分は未だ確定していないのであるから、内金払請求として)を有するものというべきであり、その総合計は同欄末尾記載のとおり二八九万七六九一円である。

3  次に、夏季及び冬季の各賞与の請求について判断する。

(一)  申請の理由1項(四)のうち、被申請人が前記就業規則に基づき夏季賞与として昭和六一年度に基本給の一五割を支払ったこと、労働組合が昭和六二年六月一日被申請人に対し基本給の二五割に一律五万円を加算して夏季賞与を支払うことを要求したが、被申請人が夏季賞与の基準となる基本給引上げについて交渉が妥結していないため支給額は回答できない旨返答したこと、被申請人が前記就業規則に基づき冬季賞与として昭和六〇年度については基本給の約三〇割を、昭和六一年度については基本給の二五割を支払ったこと、労働組合が昭和六二年一一月六日被申請人に対し基本給の三五割に一律五万円を加算して冬季賞与を支払うことを要求したが、被申請人が前同様の理由により支給額は回答できない旨返答したこと、以上の経過で被申請人と労働組合との間では昭和六二年度の夏季及び冬季の各賞与について交渉が妥結せず、協定が成立していないため、被申請人は、労働組合に所属している選定者らに対しては夏季及び冬季の各賞与の支払を拒否しているが、労働組合に所属していない従業員に対しては、同年八月一二日基本給(同年四月に引き上げられた後の金額)の一五割を夏季賞与として、同年一二月一九日基本給(前同)の二五割を冬季賞与としてそれぞれ支払い、更に、同月中に労働組合を脱退した従業員三名に対しても右と同率で夏季及び冬季の各賞与を支払ったこと、賞与に関する交渉が妥結しないのは、労働組合が基本給引上げに関する被申請人の前記回答を低すぎるとして拒否しているからであること、被申請人は、この基本給引上げの点で妥結すれば、選定者らに対しても非組合員と同率で賞与を支給する旨表明していること、以上の各事実は当事者間に争いがない。

(二)  そして、選定者らにつき基本給引上げに関する労使交渉が妥結していないものの、被申請人の回答にかかる三パーセント引上げ分についてはその支払請求権が具体化していると見られることは前記のとおりであり、更に、疎明資料及び審尋の全趣旨によれば、就業規則には前記のような規定が存するものの、賞与の支給率ないし金額等につき具体的に定めた条項はないこと、被申請人においては、従前各賞与について基本給を基準として支給率を決定していたこと、その際、昭和六〇年九月に労働組合が結成されるまでは交渉相手が存しないため右支給率は被申請人においてその裁量により定めていたが、労働組合結成後においては(同年の冬季賞与から)労使間の団体交渉を経て合意に達した一律の支給率によりその支給金額を決定していたこと、以上の各事実が一応認められる。

(三)  ところで、就業規則や労働協約あるいは個々の労働契約において賞与を支給する旨の抽象的な規定があっても、それを実施するために不可欠な支給率ないし金額について具体的な定めがなされておらず、あるいは、労使間でこの点について交渉が妥結せず、合意が成立していない場合には、他にこの合意等に代わって賞与の支払請求権を具体化させるべき特段の事情がないかぎり、その支払を請求することはできないと解すべきことは先に昇給に関し述べたと同一であるところ、本件においては、就業規則等に右の如き具体的な定めがなく、かつ、労使間で交渉が妥結していない上、労使間の合意に代わって賞与請求権を具体化させるべき特段の事情を認めることもできない。

すなわち、被申請人は、労働組合との交渉において、いったん支給額は回答できないと返答した後、基本給引上げについて労働組合と交渉が妥結すれば、労働組合員に対しても非組合員と同率で賞与を支給する旨表明しているのであるが、これは、使用者において昇給問題に関し労使紛争が解決し、もはやこの点については争議権を行使されることがない状態に至ることを条件として賞与の具体的支給率についてまで提案していると見られるのであるから、昇給問題が妥結していない以上、労使間の賞与に関する意思の齟齬が単に支給率決定の前提となる基本給引上げの率についての数量的なものにとどまるということはできないのであって、労使間に実質的合意が成立したと同視することはできず、また、同一企業において非組合員に対しては既に賞与を支給したとの事実のみをもってそれと同率の賞与請求権が具体化されるものでないことは明らかであり、更に、被申請人の従前の支給実績に徴しても一定率の賞与を支給すべき事実たる慣習があったとまでは認めることはできないのであって、結局、本件においては、前記賞与請求権を具体化させるべき特段の事情はこれを認めることができない。

(四)  そうすると、夏季及び冬季の各賞与の仮払を求める点については、その被保全権利の疎明がないことに帰するのであり、かつ、金員仮払仮処分の特殊性に鑑み、疎明に代えて保証を立てさせるのも相当でないというべきである。

二  保全の必要性について

疎明資料及び審尋の全趣旨によれば、選定者らは、いずれも被申請人からの賃金収入によりその生活を維持している労働者であり、その基本給額は別表記載のとおりであって必ずしも高いとはいい難く、毎年の基本給引上げ並びに夏季及び冬季の各賞与を当てにして生活設計を立てているため昭和六二年度分の基本給引上げ分及び各賞与の支給が受けられないことによりその生活が困窮し、選定者らの大半は労働組合が執行委員長の名義で労働金庫から借り入れた金員の貸付を受けており、その返済に苦慮していることが一応認められるので、本案判決の確定を待っていては回復し難い著しい損害を受けるものと推認されるから、本件が過去の賃金の仮払を求めているものであることを考慮してもなお保全の必要性があるというべきである。

三  以上の次第で、本件仮処分申請は、昭和六二年四月分から昭和六三年四月分までの基本給引上額として合計二八九万七六九一円の仮払を求める限度において理由があるから保証を立てさせないでこれを認容することとし、その余は理由がないから却下することとし、申請費用について民事訴訟法八九条、九二条を適用して、主文のとおり決定する。

(裁判官 齋藤隆)